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2013
10.03

厭「政」感は増す一方。

気分を暗くさせられるのは嫌だ。
政治はいつも我々の気分を暗くする。
だから、政治を見るのは嫌だ!


こんなのが、きっと今の政治的無関心な若者、に多い気がする。
かく言う私も、最近はこんな感じ。

ただでさえ自分の事で浮き沈み、波乱万丈、あるのに、
どうして外から暗い話ばかり持ち込まれないとならんの。
政治は、一つもいい話を持ってこないんだから。
東京オリンピックだって、いい話じゃない。
あれは、福島を無視し、かつ公共事業の拡大を正当化させるための口実になる。


現在の政治を批判して、こうあるべきだ、と主張したって、
それが反映されることなんてない。
彼らは我々に「痛みを与える政治」ばかりするんだから。
どうして痛めつけられることを直視しないといけないの。

いや、確かにさ、これからどうやって痛めつけられるのかを知っておくことは、
自己防衛のために必要だよ。
でも、つらいよね、いやだよね。

特に最近の政治動向は我々の生活を直撃することばかりだから、
見ないわけにはいかないんだよ。
知らないわけにはいかないんだよ。


でも、出来ることなら、見たくない。
だって、彼らは暗くさせるんだもん。
彼らはいい話を一個も持ってこないんだもん。

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2013
09.18

「使う」と「捨てる」と「作る」。

今の社会にいる以上、
ものを消費しなくては生きていけない。
ものを買わなくては生きていけない。
家の中に物が増えたと思ったら、ある程度捨てなくてはいけない。

そうすると、いままでありがとうとか、ろくに使わなくてごめんねとか、
いろいろ考えてしまうのだ。
袋につめた彼らに、頭を下げてしまうのだ。


それとくらべて。
これだからモノ作りはたまらないのだ。
ただのだだっ広い革が、単なる材料が、
何十ものパーツになり、少しずつ組み合わせることでその数が減り、
徐々に形になっていく、その過程が、
たまらない快感を与えてくれるのだ。

カバン作りはあっというまに最終局面。
出来上がった袋部分の上に、ファスナーを縫い付ける。
もうたまんない。


ただ、カバン作りはあくまで息抜き。
間に挟む楽しみ。
大好きな卵のフィリング。

パンの部分は、非常に単純なこと。
やるしかない。
それだけ。
やるべきことはこれほど明確。
やれる期間も(ほぼ)明確。
やるしかない。
それだけ。
気力ももつからね。

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2013
09.14

「理性」なるもの。

コミュニティのほうに一度書いたことですが、忘れないように、ここにも。


「理性」というのは、秩序安寧を維持するために作られた架空のもの、ではないか。
すなわち、「道徳や秩序ってあったほうがいいよね」と思う心。

はじめはきっと、人々が共同で生きていく中で、自然におこった。
慣習や習慣からできた、暗黙の合意や信頼だったのだろう。
つまり、「こういうときは大抵こうするよね」という同意。
そのほうが驚かないし、次の行動も立てやすくなる。

無法地帯よりも、道徳や秩序があったほうが生存可能性は高くなる。
それが生存有利だから他よりも多く生き残って、現在広くいきわたっている。
そのことを後付けで真理とするために、「理性」なることばができたのではないか。


なにか「理性」という崇高なものが人にはある、というのはきっと間違いなのだ。
そういう心を重んじるほうが、生き延びられるからなのだ。

「人間は理性的な生き物だ」とか、なんとかいうよりも、
現実的にそのほうが生きやすいよね、っていうだけなんだ、たぶん。


ただ、道徳や秩序はあったほうがいいだろうけど、
なにを「道徳」といい、なにを「秩序」というか、っていうのは、
大いに考える必要がある。

考える基準はひとつ、「生きやすいか否か」。
ここを忘れなければ、きっと大きく道を外れることはない、と思う。
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2013
07.23

仕事を求める姿勢、働きがいを求める姿勢。

自分の好きなこと、したいことは何か。という観点から始めるというのでは、
根本の姿勢が、間違っていたかも。


自分の必要とされる場所は、どこなんだろう。
ここから働く場所を求めてもいいのではないか。
「働きがいのある」って、そういうことでしょ?

一緒に働いている人たちや世間から必要とされているということ、これが働きがいにつながる。
であれば、人を必要としているところを。
自分の性質に明らかに外れていないところであれば、よいかもしれない。
向いていない人よりも役に立つだろうから。

頭のいいやつは、どの分野に行っても、活躍できる。創意工夫を求めるから。
どうせ仮の住まい。
仮の稼ぎどころだっていいじゃないか。その中で創意工夫を求めていけば、楽しくなる。


さあ、どこが人を必要としているのかな。
従事者の高齢化が進む仕事とか、高齢者では厳しい仕事とか。


なんやかんやいってるけど、
就活終わった、とかいってる友達見ると、まともだなと思う。
そんな当然なこともできない自分は、まともじゃないなって思う。
まともにもなれない。
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2013
07.12

トルストイを読んでいて。

気づいた。
また忘れてた。

読んでて楽しくなるような、嬉しくなるような文章を書くんだった。


それなのに、なにか自分が啓蒙者にでもなった気でいた。
とんでもない誤解をしてた。

暗い現状を直接に批判したって、悲観的になるばっかりだから、
それよりも、望ましい将来、来るべき未来を語ろうではないか。


原発の悲惨さはみんな知ってる。
それを推進する彼らを罵倒するよりも、

原発なき世を描いていったほうが、
原発をなくしていく発展的方法・過程を描いていったほうが、
建設的で、なおかつ楽しいじゃないか。

すっかり忘れてた。

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