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2013
06.24

返礼義務。

働きかけをされたら、かならず応答する。
人間として、当たり前のこと。
これができない人間は、社会から疎外されていく。

なぜか。返礼は義務だから。
「おはよう」といわれたとき、「おはよう」と返す。
返さなかった人間は、「無視している」ととらえられる。
「無視」がどれだけ相手の心と自分自身に傷をつけるか。
人に傷をつける人間は、社会から相手にされなくなる。

できるなら、自分からあいさつをするほうがもっといい。
その日一番の笑顔で、『私はあなたと会えてうれしい』と。
「おはよう」の一言で、その気持ちを伝えること。
そうすれば、自分も、相手も、嬉しくなる。


人に『会えてうれしい』という気持ちを伝えられる人は、より人に恵まれる。
人からの働きかけを無視する人は、人から無視される運命にある。

当たり前のこと。
自分がいっぱいいっぱいになっていると、忘れがちだけど。
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2013
05.20

「孤」人の増加と個人主義。

憲法の基本原理は個人主義。
確かにその通りだ。
しかし、ここから「日本人は個人主義たるべき」というふうにはならない。

なぜなら、憲法が縛っているのは国である。
国に対して、「国民は個人として尊重しなさいよ」と言っているにすぎない。
憲法は個人主義と言っているのだから、みんな国に頼らずに生きなさいよ、は間違いである。
(自民党にはこの気があるように思えるが)


それから、私は個人にそこまで重きを置いていない。
これは、集団のために個人は無視されてしかるべきというのではない。
「人は一人では生きていけない」からだ。


個人主義は「主義」でしかない。
欧米から輸入されてきて、たかだか100年200年のモノ。
欧米人にとっての個人主義と、こちらにとっての個人主義は全く異なる様相を見せる。

彼らにとって、個人主義とは自由と不可分である。
自由という、何ものにもかえがたい天賦の権利を守るための手段である。

我らにとって、個人主義とはなんであったか。
いまだ、定着しているものとは思いがたい。
ともすれば、「個」ではなくて「孤」になりがちな我らには。


~主義と名のつくものは、どれも尊重すべきものとしては貧しすぎる。
個人主義だけにとどまらない。
自由主義、資本主義、共産主義、社会主義。
いずれも、人間の信念、真理にするにはあまりにお粗末。
いずれも欧米で発達してきた概念にすぎない。
土地が変われば人も変わる。
欧米で発達したものが必ずしも他の土地に良い影響を与えてきたわけではない。


だから私は、一人で生きていくことを強いる社会、国の方向性に抗いたい。
競争に勝つために、資本のために、効率性のために、成長のために。
人はどこへいった?
人間は一人では生きていけないんだよ。
私は一人で生きていくには弱すぎるんだ。

強いものしか生き残れないようでは、人間は続かない。
人だけではない、生物一般に当てはまること。
だからこそ、強きは弱きを守ることがよしとされる。


「伝統的に良しとされてきたこと」は尊重するに値するものも多い。
それが生き延びるために必要なことと不可分であるからこそ良しとされてきたのだろう。
「伝統的=すべて正しい」にならないことは当然だが。
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2013
05.19

愉しみを取り戻せ。

高度な専門化、機械化は我々から愉しみを奪う。

ともに唄うたのしみ、ともに踊るたのしみ、
ともに作るたのしみ、ともに語るたのしみ。


うたは、気持ちを人に神に伝えるもの。
かつてはみんなが唄った。
今はうまい人しか唄えない。

おどりは、気持ちを人に神に伝えるもの。
かつてはみんなが踊った。
今はできる人しか踊れない。

子どももお年寄りもみんなが、家族に社会に貢献する。
あなたのために私は生きているのだ、とみんなが実感できる。
かつてはそうだった。
今は専門家しかつくれない。
高度な機械は、使う人を制限し、使われる人を増やす。

科学は専門家にしか語り得ない。
今の学問は専門家にしか語り得ない。
高度に分化した智は、語る人を制限し、他を無きものとして扱う。
外部の人に語られるのを妨げる。


愉しみを奪われていないか。
愉しみをみずから差し出してないか。
愉しみを面倒や時間の無駄に変えてしまったのでは、生きにくいよ。きっと。
物理的には豊かになっても、生きにくいよ。

モノづくり、料理、労働、家事、勉強、子育て、介護。
何もかも、面倒にしてしまって、何が残るのか。
「効率」のためにあらゆるものを省力化して、外部化して、残ったのはもぬけの殻。
国も、人間も。
もぬけの殻。


取り戻せ、自分の内側に。
モノを作る愉しみを。
ご飯を作る愉しみを。
ともに語り、唄い、踊る愉しみを。
愉しみを取り戻せ。
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2013
05.13

実語教を読んで。

新しく知ったことはただ一つ。
「何も新しいものはなかった」ということ。
たった1,2ページの短い文章だが、「そうだよね、そういうもんだよね。」で終わってしまい、驚きや発見は何もなかった。

でも、このことはとんでもなく重要。
何も新しいことがないということは、すでに自分の中にその芽があったということ。
これこそ両親、祖父母、近隣から脈々と受け継がれてきた精神ではないか。
これこそ大事にすべき心持ではないか。

逆に、『学問のすすめ』の方はこうはいかなかった。
こんな発想をしているのか、と新しく知ることろが多々あった。
近代帝国主義の中で「富国強兵」を進める必要性が色濃く出ている。
この延長に軍国主義があった。
「学問のすすめ」=軍国主義ではないが、その思想を恣意的に用いれば、軍事国家への道を突き進むことができる。国民の福祉を一切無視することもできる。
その一つが、首相が使った「一身独立して一国独立す」である。(参考:前々回のブログ
首相のこの使い方は明らかに誤りではあるのだが。

実語教も学問のすすめもその当時の子供向けの書であるが、
やはり「欧米列強」を知る前と後では大きく違う。


学問のすすめよりもすんなり入ってくる実語教。
斎藤孝さんもこの書に注目し、本を出している。

実語教そのものを読んだことのある人はそこまで多くないだろうが、
ごく当たり前のことしか書いていないはず。
以下の引用部分は、青空文庫より。
最初の文。

 山高故不貴 以有樹為貴
 人肥故不貴 以有智為貴

山は高いから貴いんじゃない。樹があるからこそ貴いんだ。
それと同じで、人は金持ちだから貴いんじゃない。智があるからこそ貴いんだ。

「智」とは何ぞや。
専門家の知、知識としての知は誤り。
「物事の道理をよくわきまえていること」なり。


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2013
05.10

日本人が置いてきたもの。

伝統的に誰もがなじんでいる書物。
綿々と受け継がれている語り。

権力者を賛美するものではなくて。
流行を追い求めたものでもなくて。

ユダヤ教徒には旧約聖書がある。
キリスト教圏には新約聖書がある。
イスラム教圏にはコーランがある。
その書物に書かれていることが真か否かという話ではない。
人々の生きる指針となるものが、人々を超えて、時代を越えて存在しているということ。

日本人にこのような類の書物はない。

綿々と受け継がれている語り。
アイヌにはユーカラがあった。
日本人にはあるか。


こういったものは、今から作ることはできない。
であれば、ないまま生きていくか、掘り出すか、思いだすか、しかない。
かろうじて残っているのは、昔話くらいであろうか。

ほかにあるかどうかわからないけど、
掘り出そうと試みる。
明治期にはもう欧米の文化に追い付け追い越せだったから、そこは注意。
はじめに、『学問のすすめ』。
そして、そこでも引かれている『実語教』。
言葉を今の意味で理解しては、きっと少しヘンになるから、そこも注意。
これこそ真だ、と無批判に取り入れるのではなくて、助けにならないか、と考えること。


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