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2013
09.18

科学はすべてを説明できるのか。

Category: 雑感。
科学はあらゆるものを説明できるか、将来説明しうるか、というと、
おそらく不可能であろう。

科学は全てを説明しうる、と主張する人もいるかもしれない。
昔は「神の所業だ」と言われてきたものでも、今はどんどん解明されてきている。
自然災害についてはそうかもしれない。
地震、雷、台風、月食日食、これらを神の怒りと思う人は現代ではそういない。
しかしこれだって、「なぜプレートがずれるのか」には説明がない。
本当に科学はあらゆるものを解明してきたか。


さらに、人はよく偶然という。
「偶然こうなった」と。
それを運命という人もいる。
「これはきっと運命だ」と。

どれも、科学は説明しない、否、説明するべきものだと思っていない。
しかし、この「偶然」も「運命」も、言ってしまえば「神」と同じ。
科学は、「偶然」も「運命」も認めない。定義しない。
それはすなわち、研究の対象外だとして放棄、無視しているのと同じ。
これでいて、あらゆるものを説明できる、と言ってよいのか。


科学の基本たる「原子」の存在だって、今や既に不明確となっている。
学校で習ったとき、原子とは、「物質の最小限の単位」と教わった。
それ以上でもそれ以下でもない定義。
しかし今、原子の中には「原子核」やら「電子」やらがあることも知られている。
原子は最小ではないではないか。
こんな致命的な矛盾を、わたしたちは何も知らずに受け入れさせられている。

それともこういうつもりか。
原子とは、「原子核と電子からなるもの」と。
そうなればすぐに次の質問が飛ぶ。
「原子核とは何か、電子とは何か。」
以下無限ループにつながることは、言うまでもない。

一体科学は何を説明できるというのか。


理系の大学で学んできた人々は、原子が何か、知っているのかもしれないな。
私はどうも、哲学的視点から物事を見る傾向にあるから。

さらにいえば、あらゆるものを説明しつくしたところで、一体何になるのか。
「だから何」感とか、虚無感とか、そういったものにつながらないか。

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2013
07.15

リーダー不在。

Category: 雑感。
(五野井郁夫『「デモ」とは何か』を読んで。)

これほど民主的なものはあろうか。

反原発デモに対して、政治家がリーダーとの対話を求めても、誰もリーダーではないという。
これほど民主的なことがあろうか。

リーダーなどいない、もしくはみんながリーダーだ。
権力を握るもの、人よりも力を持つものは存在しない。
みんなが平等に発言権を持ち、全員参加で合意を作る。
これほど民主的なことがあろうか。

オキュパイウォールストリートでも、そうだった。
リーダー不在。
これは先のスペインでのデモで用いられた手法だという。


日本では、政治に無関心な者は多い。期待していない者はもっと多い。
アメリカでも、大企業の代理人となり下がった政治家たちを99%は冷めた目で見ている。
そんな中、オキュパイウォールストリートの参加者たちは思い立った。
間接民主主義が失敗しているのだから、直接民主主義を試したらどうか。

政治家などあてにならない。
政治家は我々を食い物にする。
ならば、彼らに政治を任せる代議士制などやめてしまえ。


自分たちのことは自分たちで決める。
数が多いと決まらない?
だから小さな集団で決めるのだ。
日本国一億人で話し合うのではない。
自分たちの所属する集団、所属する地域で納得いくまで話し合って決める。

そもそも、あれしかいない政治家たちだって、何にも決められないじゃないか。
決めたとしても、それが我々の意向を無視したものならば、何にも意味がない。
彼らは話し合って物事を決める、ということを知らないのだ。
政治家がするのは合意形成ではない。数の力で押し通すだけ。
「自分たちの意見が正しい」ということを疑わない強権的集団。
じゃあ、自分たちで決めようじゃないか。


もうここまで来たら、比較考量だ。
政治家に決めてもらうのがいいか。
それとも自分たちで決めるのがいいか。

すでに間接民主主義の限界を知った以上、
すでに日本の政治家は役に立たないどころか、我々に害を与えることがはっきりした以上、
このまま政治家に任せておくことはできない。

じゃあ、自分たちで決めようじゃないか。
リーダー不在。
数多くの小規模集団、中間団体の中で、参加者みんなが平等に発言権を持ち、
とことん話し合って、合意形成をする。
そしてそれは日本だけにとどまらず、世界各国で始まっている。


政治家が役に立たないのは、今だけではない。
政治家が一般市民をいじめるのは、日本だけではない。
ならばきっと、間接民主制がうまくいかないのだ。
じゃあ、自分たちのことは、自分たちで決めようじゃないか。

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2013
07.06

「社会復帰」なることば。

Category: 雑感。
社会復帰って何だ
まるで復帰すべき理想郷、まともな場所があるみたいじゃないか
まるで社会の外にいるみたいじゃないか

そうだった
社会的抹殺
この国では、物理的な抹殺よりも社会的な抹殺の方が多いんだった。

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2013
06.28

俺はガンで死にたくねえ

Category: 雑感。
それでもテレビは言っている
日本の原発は安全です
さっぱりわかんねえ
根拠がねえ
これが最後のsummer time blues

電力は余ってる、いらねえ、もういらねえ

電力会社は儲けてる

俺はガンで死にたくねえ


忌野清志郎さんの『SUMMER TIME BLUES』
当時、一度発売中止になった曲。
youtubeにあり。
既得権益者と偽善者に消される前に、ぜひ。
続きを読む
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2013
06.08

「臓器工場」はすでに予測されていた。

Category: 雑感。
「細胞シート」を用いた日本の最先端医療。
患者の細胞を一部取り出して培養し細胞シートを作って、患部に貼ることや、それを重ねて臓器を作ることが行われている。
(細胞シートは東京女子医科大学で研究、試験されている)


実は、非常に似たものが1997年の時点でテレビに放映されていた。
「世にも奇妙な物語『完全治療法』」である。

この話の中では、患者から取り出した細胞を培養して完全に人の形にまでしてしまうが、
それを「臓器牧場」と呼び、臓器を取り出して患者に移植する。
元の細胞が患者自身のものなので、拒絶反応も起こらない安全性の高い治療法として登場する。


現在試験中の最先端医療も、ほぼ同じ、それどころか、より効率主義的である。
完全なる無菌室において、細胞を培養し、臓器を作り出す。
人型にしてそこから臓器を切りだす、などという面倒なことはしない。臓器だけを作り出す。
そして、その設備一体を「臓器工場」と呼ぶ。


世にも奇妙であった架空の話が、15年たって世に実在するリアルな話になりつつある。
背筋の凍るような感覚。


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