--
--.--

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2013
04.30

投票は議論とセット。

小学校から職場に至るまで、多数決は日常的に用いられている。
そして、多くの場合、選択肢が出た時点で多数決がなされることが多い。

しかし、これでは多数決の正当性に欠ける。
選択肢を出した後に、議論を尽くしたうえで採決を取らなきゃ。

議会の発祥元である欧米は普段から議論に慣れている。
しかし、日本は慣れていない。
かつて明治期に議会制度を輸入した日本は、議会に必須の「議論する性質」は輸入できないことに気付かなかった。
だから、もし議会制度を有効に機能させようと思えば、議論する環境を整え、経験をつまなくてはならない。
これが内閣と国会の一体化を招く一つの要因であろう。
(明治期に輸入され、日本で機能不全を起こしているものは実は多かった。)


国民投票も、議会での議案採択も、そうでないとうまく機能しない。
自分の党の提案した議案には賛成、そうでないものには反対。
そんなものなら議員はあんなにいらない。

議会が存在するのは、出された選択肢に対して、大いに議論するため。
だからこそ「議」会という。
投票前には十分に議論をしないといけない。


国民投票という最終兵器をはなから持ち出して、
「国民の総意」という正当性だけをこじつけようとしてもだめ。
最低投票率も規定せず、議論ができる環境もつくらず、
国家の根幹たる、権力を縛る憲法を容易に変えようなど、させてはならない。


スポンサーサイト
Comment:0  Trackback:0
2013
04.30

今の政治を古臭いという理由。

今の政権、政治をなぜ「一昔前の政策」というか。

・貿易を自由化し、国際競争力を高める
  →今の世界市場はすでに飽和状態。
   世界市場で利益を拡大するには、既存の企業をつぶさねばならない。
   日本の企業の大部分は国際競争に負け、つぶされる。
   勝ち残った企業だけでは雇用が足りなすぎる。

・グローバル化による、自由主義・資本主義のさらなる拡大
  →自由主義・資本主義の弊害はすでに顕在化している。
   弊害への対策をすることもなく、これ以上の加速をするのは無謀。
   

・日米同盟の強化
  →アメリカは老齢期に来ている。
   さらに、アメリカはユートピアでもドリームでもない。
   テロの脅威と貧困層の拡大と国民皆銃武装の現実がある。

・軍隊の保持へ向けた取り組み
  →戦争の時代はもうこりごり。
   さらに、国防費の増加は財政を圧迫する。
   軍隊で平和を維持するのではなく、非武装で平和を維持するのが次代の日本の役目。
Comment:0  Trackback:0
2013
04.29

若者の農業離れの今昔。

Category: 雑感。
「他の仕事と比べて大変だから、若者は農業を敬遠しがち。」
これは本当か?

確かに一昔前はそうだった。
休みの日もなく朝早くから汗水たらして働くよりも、スーツを着て会社に出勤するほうが割がいいととらえられていた時代があったから。
ただし、それは一昔前の話でしかない。


今の若者世代は、おそらくそんなことすら考えていない。
農業は自分とは別次元のもの、というか、どうやって農家をするのか、農業にはどんなものがあるか、それすら知らないだろう。農業そのものの情報すら、若者には入ってこない。
だから、農業は選択肢にすら入らない。

大学全入時代になり、若者のほとんどが大学を卒業して就職するようになった。
就活をする大学3年生、4年生はほぼ各種就活支援サイトを利用する。
そこに農業の情報はない。

ならば、大卒生から農業へ行くという人はごくわずかになる。
いてもおそらく農学部出身くらいだろう。
これでは農業へ行く若者が少ないのは必然的である。


なにが変か。
今のような「就活」というものがさも当たり前になっていること。
そして、大学生がこぞって就活支援サイトを情報収集のメインにしていること。

一昔のように、「一流企業」に入れば人生安泰、という時代はもう終わった。
であれば、今後の趨勢によっては、農業に人手がいく可能性もあるかもしれない。
Comment:0  Trackback:0
2013
04.29

自分の危機意識。

Category: 未分類
大きく分けて3つ。おそらく。

1.平和・戦争関係
  (平和主義、いかなる戦争も反対、原爆廃絶など)
2.経済関係
  (グローバル化に歯止めを、市場統合を阻止など)
3.心持ち関係
  (どんなふうに考えたら気持ちが落ち着くか、など)

院のテーマにするなら、1か2だな。
こう分けたら、バラバラになっていることもまとまりやすいかも。
Comment:0  Trackback:0
2013
04.29

国内産業を守るには。

Category: 経済のハナシ
供給者サイドだけ見ていたって駄目。
国内産業に力をつけさせたいのなら、消費者サイドにも目を向けなきゃ。

「日本の農業に(国際的)競争力をつける」でなくて、
「『国産を買おう』キャンペーン」をしなきゃ。
国産は、いまや外国産をはるかに超える安全性と質を持つ。
この高い品質は、真っ先に国民が享受するべきもの。


供給は需要で決まる。
店もより多く売れるものを並べたい。
ならば、生産者を保護するのと並行して
消費者の目を国産品に向けさせないと。
Comment:0  Trackback:0
2013
04.29

玉突き事故。

Category: 時事
総理車列で玉突き事故。
起こすなよ。
税金かかるじゃん。

あんな車、一台1000万以上するんだから。
5台の玉突き、常日頃使うものだから、修理に出す暇なんてない。
5台買い替え。
5000万が飛んで行きました。

私たちの払った税金です。
せめて福祉に使ってください。


まあ、とりあえず死亡事故にならなくて良かった。
打ち所が悪くて首相が死にでもしたら、
「公務執行中に殉職」として聖人化されかねなかったし。
Comment:0  Trackback:0
2013
04.29

この国に「政治家」はいるか。

ごく当たり前の言葉「政治家」。
でも、これがいったい何を意味するか、分かっている人はいるだろうか。
私はわからない。

一般的な定義では、国会議員、地方議員、知事、市長など。
しかし、私にはどうも、彼らが政治家だと言われても、腑に落ちない。
彼らは本当に「政治家」か。

政治をなす人が政治家、これならわかる。
はたして彼らは「政治」をしているのか。


では、政治をなすとはなにか。
権力行使をすること=政治をなすことか。
ちがう。
権力、というものには国家権力だけでなく、行政権力、司法権力もある。
警察官の仕事を政治とは言わない。

政治をなすことには権力行使が含まれるか。
これは正しいように思う。


どういうふうに権力を行使するか、これを決めるのが政治だろうか。
これなら割と妥当だと思う。
いわば、国が進むべき理想を決めるのが政治。
行政はこの理想に進むために、具体的な道筋をつけるもの。
ん?
   政治と国会、内閣はどういう関係にあるのか。行政は政治には含まれるのか。
   もうちょっと考えないとだめかな。
   これは後回し。

であれば、党の政策に盲従するような議員、処分が怖くて賛成を押すような議員は政治家ではない。
一方、どんなに悪政でも、自ら権力行使の方向を考え、議論する者は政治家といえる。


結局、「政治家」という言葉それ自体には善悪・良否の判断は入らない。
事実問題として、「政治」をするものが政治家である。

日本の今の政治で問題なのは、政治家でない議員がたくさんいること。
それから、悪政を行う政治家に支持率を60%も70%もあげるような国民がいること。
悪政の被害者は我々国民である。と同時に、その悪政を止められるのは我々国民しかいない。

Comment:0  Trackback:0
2013
04.28

大学が家族の非日常を奪う。

Category: 学業のハナシ
祝日にも授業がある(国立大学なのに)。
教務課の理由としては、「授業時間確保のため」だとか。
これではせっかくの祝日の意義が没却されてしまう。

祝日とは、家族みんなで同じ時を過ごすためにあるのだ。
仕事を持つ両親も、学校がある子供も、皆が休み。
だが、休みは土日もある。土日に家族で過ごしてもいいじゃないか。
では祝日が土日と別にある意義は何か。

ただの土日には、子どもは友達と遊びに行き、仕事疲れのお父さんは家でごろごろ。お母さんは平日も働いてるのにいつもと変わらず炊事洗濯。それが一般的ではないかと思う。


祝日は「祝日」なのである。つまり、いつもと違う日、非日常の一日なのだ。
祝日にかこつけて家族で出かけたり、家で遊んだりして、一緒の時を過ごす。
かこつけるためのもの。日常から離れたところにあるもの。それが祝日である。

だから、普段はしないことをしても非日常として(感情的に)あり。
「今日は(特別に)出かけるか。」
日常の土日でなく、非日常の祝日だからこそ、普段しないような親孝行だとか、普段しないような家族サービスだとか、してもいいような気分になる。


それを、「授業時間を確保する」などという些細な理由でもって、
家族の貴重な非日常を奪うとは、言語道断である。
Comment:0  Trackback:0
2013
04.27

扶養は義務か愛か?

Category: 雑感。
民法でも定められている、扶養義務。
近親の扶養を愛でまとめる言い方もある。

が、義務も愛も正しい言い方ではない。


「愛」をことさらに強調するのは、日本のここ最近の風潮にすぎない。

元々は、扶養とは愛でも義務でもなくて、疑問の余地のない当然のこととしてあった。家族が、親族が、近所が、当然にしていたことを、そのもとで生まれ育った子供が当然のものとして受け取った。かつての扶養には、このような自然のサイクルがあった。
そしてそれを助ける、近隣の連帯があった。

その自然の循環がうまくいかなくなって、それでも扶養の必要性は消えないから、外から義務として人々に植え付けようとしたのが近代のハナシ。

その後自由主義・個人主義の風潮が強まって、義務ではだれも動かなくなって、それでも扶養の必要性は消えないから、「愛」なる人間の情を持ってきて人々に植え付けようとしているのが現代のハナシ。


扶養なるものは人間が集団で生きていく以上、消えないものであるが、
それを植え付ける根拠は決して当然のものではない。
「義務」も「愛」も、それが人間の本性としてあるわけではない。
人間にあるのは、「消えることのない扶養の必要性」という事実だけである。

そして扶養とは、決して一方的なものではない。
若いうちは年寄りを扶養し、年を取ったら若者に扶養され、という双方向性がある。
決して必要性の消えることのない扶養。
これが人々にしっかり根を張るようにするには、愛でも義務でもなく、この双方向性に注目するのがいいと思う。

困った時はお互いさま。
Comment:0  Trackback:0
2013
04.27

気付かずに築いてきた枠組み。

母親と電話で話していて、ふと気付いた。
彼女は、彼女の思考の枠組みの中でしか話していない。
きっと無意識、それしかできないのだろう。

私も、私の思考の枠組みの中でしか話せていないのかもしれない。
この枠組みは、話すことだけでなく、考え方、ふるまい方、すべてを制限する。
しかし自分には見えない。自分にとってそれは枠組みではなく、世界の果てなのだから。


果ての向こうには何もないと思っていられる時は楽かもしれない。
問題は、それが単なる仕切りであって、その向こうがあると気付いた時。
その時、それまでの気楽さ、安心感は姿を消す。

でも、枠の中で安住しているよりは、その向こうを手探りながら歩いて行ったほうがいい。
むしろ、私にはもう枠の中で安住していることなどできない。
枠を枠だと気付いてしまったから。
あとは、行けども行けども新たな枠があることを注意しつつ、先へ進まねばならない。
Comment:0  Trackback:0
2013
04.27

『どこでもドア』は実在する。

Category: 雑感。
漫画のままのものとはいかないが、瞬間移動装置ならばすでに存在している。
存在しているどころか、誰もが日常的に使っている。

電車、新幹線、飛行機。
これらを瞬間移動装置といわずになんといおう。

ドアを開けて中に入り、しばらくすると目的地に着いている。
一瞬で、とはいかないが、2時間もあれば、だまっていても東京から京都へいける。

データが一瞬でどこへでも飛んでいく今の時代、皆が思う瞬間移動という観念からは程遠いかもしれない。
でも、一瞬で飛んでいくデータはあくまでコピーであって、現物を送っているわけではない。


それに、速けりゃいいってものでもないはず。
車も、新幹線も、原子力も。
話がぶっ飛んでいるように見えて、実はそうではない。

人間がコントロールできないものは、非常に怖い。
だから、なるべく減らそうよっていうこと。
何か起こってからじゃ、遅いから。
(何か起こってからも平然と使いつづける奴もいるし。)
Comment:0  Trackback:0
2013
04.26

崩れゆく国の巻き添えにならないために。

グローバル化で多国籍企業に我々の市場は食いつぶされる。
一方、国に守ってもらうことは期待できない。
それどころか国は積極的にグローバル化に手を貸す。
それが国を崩壊させると知ってか知らずか。


現行の国がなくても住みよく生きることはできるか?

市場がなくても生きられるようにするか、多国籍企業に市場を取られないようにするか。
市場がないということは、おそらく物々交換の時代に戻ることになる。
これは、きっと大きな方向転換を強いられる。
物々交換の時代に戻るよりは、市場を守ったほうがいい。

市場を守るには、多国籍企業を入れないことだ。
ただ、国は手を貸してくれないから、国の規模ではできない。
地域ごとに、自らの地域の中で、モノ・お金・人を循環させること。
市場に大きさは関係ない。大事なのは滞らせないこと。
大きな市場が存在する現在でも景気は悪い。富裕層にお金がとどまって、一般市民に流れないからだ。


自らの地域の中で、モノ・お金・人を循環させること。
これが、私の思う住みよい世の中のひとつ、「隣近所で助け合って暮らす」の一翼を担う。
Comment:0  Trackback:0
2013
04.26

安倍政権の施政の行方

夜警国家になる。

今の施政とこれまでの彼を見ていると、
 ・軍隊の保持
 ・中央集権的国家
 ・グローバル化推進
これがおそらく彼の望むところだろう。

その行方は決して福祉国家的でも、平和主義でもない。
それはまるで一昔前の、自由主義が跋扈していた時代のもの。


今は違う。
自由主義の弊害が色濃く出ている。
そのために、福祉国家なる概念が施政の方針としてとってかわったのだ。

資本主義・自由主義が広まり、自由な経済活動を邪魔しないのが政府、という時代から、
資本主義経済による大きな弊害が生じ、これから国民を守るのが政府、という時代に移り、
その先にあったのはグローバル化による資本主義・自由主義の助長。


ここでの政府の役割は何か。
一昔前のように、自由な経済活動を邪魔しないということではないはずだ。
しかし、今の政府はこっちの方向へ進んでいる。
邪魔になる法律・規制を撤廃し、グローバル化を援助する方向へ。

それではいけない。
すでに、資本主義・自由主義の弊害は明らかになった時代なのだから。


それとももう、国に守ってもらうなどということは期待できないのか。

Comment:0  Trackback:0
2013
04.26

甘すぎる予測。

Category: 経済のハナシ
日銀が物価上昇率を上方修正と。
さらに、経済の見通しで、消費税を上げても成長は続く、と判断したらしい。

甘い。甘すぎてくどい。

そもそも金融を緩和して公共投資を増やせば景気は回復すると思っていること自体、古い。
時代錯誤も甚だしい。かつてのその政策のおかげで、今まで「失われた20年、30年」と言われ、多大な借金が残ったのではないか。
その借金を減らすことなく、出費を増やしたところでどうなるか。
そのツケは将来世代に回る。現在の首相が退任したころに。
現首相にはそれでもいいのかもしれないが、我々にとってこれほど迷惑な話はない。

今の政府の政策にはこのようなものが多い。
とりあえず今だけしのげるような政策をとり、30年後はおろか5年後のことすら考えていない。
自分が首相の座にいるときだけ良ければいいと。
このまま放っておけば、より大きくなった問題が我々の前に立ちふさがる。
原発然り、国債然り、核兵器然り、経済市場然り、過密化過疎化然り。


消費税を上げれば必ず消費は落ち込む。
ちょっとでも経済をかじったことのある人なら、というか、常識として、知っている。
これに物価上昇が上乗せされれば、成長など見込めない。消費が減れば、企業の収入も減る。
さらに、物価上昇が進む現在、いまだ給料は据え置きのまま。
これでは、どうやったって、国民の消費は落ち込む。そうなれば、税収は落ちる。
税収が落ちれば、国は税率を上げ、さらにサービスを減らさねばやっていけない。すると、さらに消費は落ち込み、生活保護を受けるものも増える。悪循環はとまらない。

アベノミクスだとはやし立てられて、本人も上機嫌だろうが、これも他の政策と同じくらい低質で、一昔前の政策でしかない。
今の時代には通用しないどころか、より悪化させるものである。


ところで、「あべのみくす」と打ったら『安倍の未来す』と変換されてしまった。
彼にとって未来はせいぜい自分の任期のみ。高い支持率で輝いて見えるかもしれないが、彼に任せていては我々の未来は貧困と絶望の淵に近づいてしまう。



Comment:0  Trackback:0
2013
04.25

メモ:日本の平和主義

Category: 平和と戦争。
日本国憲法の平和主義は、単に自国の安全を他国に守ってもらうという消極的なものではない。それは、平和構想を提示したり、国際的な紛争・対立の緩和に向けて提言を行ったりして、平和を実現するために積極的行動をとるべきことを要請している。すなわち、そういう積極的な行動をとることの中に日本国民の平和と安全の保障がある、という確信を基礎にしている。

                 (芦部信喜、『憲法』第4版、2010、56頁)

今の日本の安全保障に足りないもの、これ。

Comment:0  Trackback:0
2013
04.25

「いかなる状況下においても」の文言の重要性。

Category: 平和と戦争。
核の不使用をうたった共同声明。
この声明については既に一度述べたが、もう一つ。
日本側が、「いかなる状況下でも」の文を削除するよう要求したことについて。

似ているものがかつて存在した。
終戦時、日本国憲法の制定にあたってのことである。
いわゆる芦田修正によって、第9条2項に「前項の目的を達するため」の文が入った。
それが入る前は、「どんな戦力の保持も絶対的に禁止する」、と読めたものを、この文言が入ったことによって、「戦争を仕掛けない程度の戦力なら保持していてもかまわない」ように読めてしまうことになった。実際、これを危惧した極東委員会は、その後文民条項(66条2項:内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。)を入れるように要求する。

その結果、どうなったか。
日本国は、警察予備隊を持ち、自衛隊という軍隊に変わり、兵器を買い、後方支援という名目で戦争に加担している。
こんな文面など、解釈次第でいくらでも変えられる。
(憲法は権力機関を拘束するための法律である。)
(それを権力機関たる政府が柔軟に解釈しているのは、憲法の趣旨に反する。)


核不使用の共同声明も、「いかなる状況下においても」の文言を削除してしまうと、同じことが起こる。各国はその例外を必死で探し、自らの核保持と使用を正当化しようとする。
なくしてはいけない文である。

そして、日本は率先して賛同すべき声明である。
国民は、被爆国であることを決して忘れていない。

Comment:0  Trackback:0
2013
04.25

現政権・政治に対する憤りは募る。

Category: 雑感。
政治を変えたい、と思う人はごまんといる。
今の政府も、首相も、政策も。

私もその中の一人。
でも、その中の一人にしか過ぎないのかな。

今の政治を放っておけば、遠からず今よりも生活は悪くなる。今でも危ないけど。


頭抱えて、うんうん唸っていても、政治は変わらない。
ブログ書いても、ブログ読んでも、政治は変わらない。

でも、私がブログを書き始めたのは、頭の整理のため。
もやもや、漠然とした憤り、違和感、これを文章にすることで、よりはっきりと知るため。

ブログを書くことが、目的になってはいけない。
ブログを書くことで政治が変わると思ってはいけない。
問題は、文章を書いて、まとまった頭をどこへ向けるか。
落ち着け、あせることはない。
アホみたいな首相はいままでにたくさんいたが、それでも日本はあるじゃないか。
今の政権は、どうせ長くは続か(せ)ないし。


もやもやをまとめて、縮こまらずに。
ゴールはあいまいながら、分かっている。
ゴールがあれば、道は必ず見つかる。見つける。
やはり、院でも行こうか。

Comment:0  Trackback:0
2013
04.25

核の不使用声明に賛同せよ。

Category: 平和と戦争。
核の非人道性と不使用をうたった共同声明。
日本はこれに賛同しなかったという。
さらに、「いかなる状況下でも」の文言を削るよう要求したと。

政府の対応はありえない。非難されてしかるべき。
日本は率先して賛同するのがふさわしい。
唯一の被爆国として、核の不使用どころか、核兵器の廃絶へ先頭を行くべき立場なのに。


政府が賛同しなかった理由は、「日本の安全保障の状況」だという。
安全保障をうたうのならば、何よりも危険な核兵器をなくすことこそ大事ではないか。

アメリカの核の傘に守られている?「抑止力」としての効果を持つ?
そんなものなくたって、日本の安全保障には何の違いも生まれない。
むしろ、アメリカとつながっているほうが、他国の敵意を買うだろうに。
北朝鮮の核兵器開発がこわい?
日本を攻めるのは彼らにとって何のメリットもない。考えればわかるはずだ。


むしろ、全世界で核兵器の不使用、そして廃絶へ進んだほうが、安全性は高まるってものだ。
核兵器を(アメリカに)使用された我が国は、悲惨さを身にしみて分かっているはずだ。

それとも、もう過去のこととして忘れ去りたいのか、政府は。
原発の事故と同じように。

Comment:0  Trackback:0
2013
04.25

評価を求める自分の無意識。

相手の意図を読み取り、それに沿うように自分を合わせること。
これを無意識のうちにしていることが多いように思える。

これが「空気を読む」ということか?

今までの学校生活でも、ほとんど同じスタンスだった。
「先生の望むように書きました(だから高く評価してくれ)」と。
そして、その答案を評価する側も、そういったものを評価していたのではないか。

思えば国語の問題でも、「筆者は何を言おうとしているのか」という問題は多い。
ワークの答をそのまま暗記して期末試験で書く、ということも多々あった。
そして、そういった解答に先生は満点をつける。
まあ、作文のように「思ったことを素直に書いた」文章には採点しようがないから、仕方ないのかもしれない。


私だけに限らず、今の日本人には多いかもしれない。
「周りの空気を読む」ことで周囲に調和しつつ、ほしいものは他者の承認なのだ。
「私はあなた(おそらく地位的に上の人)の望む存在である。だから自分を高く評価してくれ。」と。
ただ、他人の承認を得たいと思うことが悪いとは思わない。


こんなことを書きながら、自分も読み手に高く評価してほしいと思っていると気づいて、こわくなった。
蟻地獄にはまってしまっているみたいだ。
こんな傾向があると、常に心に留めておかねばなるまい。

Comment:0  Trackback:0
2013
04.24

人間の本能と競争の強制。

Category: 経済のハナシ
BBCの英語教材で、「the Will to Win」というタイトルのものがある。
すなわち、人間の本能としての「勝とうとする意志」である。

ただし、いつでもどこでも戦うのではなく、「勝てそうなところでは争い、勝てそうにないところでは争いを避ける」ということである。
これが出来てきたからこそ、人間は今まで生きてこられた。

生き延びるためには、競争は慎重に選ばれなくてはならない。
    自分が楽に勝てる相手は襲わない(体力の無駄、自分の脅威にはならない)
    自分よりも強い相手とは争わない(勝てない戦はしない)
    同じくらいの力の者には戦いを挑む(自分の地位を脅かす可能性あり)
この区別ができないと、人間は生き延びられない。


一方、昨今のグローバル化や能率目的で、多方面において競争の激化が進んでいる。
これは、人間の本能から見ても不合理である。

外部から強制された競争は、人間の生存戦略に反する。
競争に参加すべきかどうか、自ら判断することができないからだ。
本来なら競争不参加を選ぶことで、体力の温存も命をつなぐこともできたのに。
しかも競争相手が多ければ多いほど自分が不利になる確率も高まる。
一度に戦う相手は少ないほうがいいに決まっているから。


グローバル化、そして昨今の競争激化はこの「外部からの競争強制」に他ならない。続きを読む
Comment:0  Trackback:0
2013
04.24

国・政府は何のためにあるのか。

「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。」
      (憲法前文より)

政治のすべては、国民が利益を受けるために存在する。
ここで言う国民とは、「政治家集団」でも「政治家に資金をささげる経済団体」でもない。
もっともっと具体的な、日本国全土にいる民のことである。

現政権に限らず、長くこのことは忘れ去られているように思える。
もしかしたら近代の日本においては、ずっと存在していないのかもしれない。
市民が自ら勝ち取ったのではなく、概念だけを外国から輸入してきたものだから。


さらにいえば、近代国家に不可欠なものが日本では機能していない。
「三権分立」、憲法にも明記されている。立法・行政・司法の3つに権力は分けられ、たがいに抑制し合う。
しかし日本では、立法と行政は一体化している。
具体的に言うと、政府と国会議員は「党」のもとで、一つの立法行政府として存在し、
省庁はもともと行政の一員として政府に従属している。

近代国家に必要な権力分立は昔から日本では機能していない。
国のありかたをなおすか、国ではないもので国民の利益を守るか。
だからといって、安直に大統領制に飛びつくのは早計。


外国から輸入しただけのものは、日本にはなじまない。
(でっち上げたものでない)日本人の生活様式・思考になじむもの、が必要か。
日本人の、日本人による、日本人のための政治システムが。
Comment:0  Trackback:0
2013
04.24

specialistとgeneralist

Category: 雑感。
昨今はスペシャリストが重宝される機運がある。
しかし、スペシャリストはジェネラリストの指揮下でこそ活躍できる。
スペシャリストだけでは、自分の専門に集中してしまい、周りが見えなくなるのである。
こんなに利用されやすい人材はいない。(決していい意味ではないですよ。)

大学教授だって、自分の専門外のことについてはほぼ一般人と同様である。
そしてそれは、学問が細分化されればそれだけ顕著に現れる。
法学教授は経済学のことは知らない、その逆もまたしかり。
であれば、法学も経済学もある程度知っているもの(だけ)が、経済学をもとにした法学論を展開でき、法学とリンクした経済学を学ぶことができる。


そして、国を動かすという大局面では、政府はジェネラリストでなくてはならない。
スペシャリストとしての役割は行政がになう。
政治責任は、どちらだけのせいにできるものではない。

国民の幸福という、行くべき方向はどっちにあるかを示すのは政府。
示された方向に行くために道を開いていくのは行政。
ついた道を歩いて行くのは国民。

より小さな局面でも、ジェネラリストとスペシャリストは両方必要になる。
全体の統率と行くべき方向をつけるのはジェネラリスト。
示された方向に行くために道を開いていくのはスペシャリスト。
ついた道を歩いて行くのは彼らが守るべき者たち。

これこそ、各々の役割として最も適した分業方法ではないか。


深さと広さ、両方なくては物事はうまくいかない。
しかし、一人の人間でその両方を満たすのは難しい。
であれば、複数人がチームを組み、深さと広さを実現させればいい。
リーダーシップをとるのにふさわしいのは、ジェネラリスト。
generalとは「将軍」、つまり指揮統率する者を意味する言葉でもある。

ただ、ジェネラリストを名乗る者の中には、あちこちかじっただけの、中途半端ものも含まれていることがあるため、気をつけねばならない。
また、スペシャリストの中にも、自分の(狭い)専門しか詳しくなくて、他には関心も知識もない「専門バカ」もいるため、注意する必要がある。
Comment:0  Trackback:0
2013
04.23

「国際化・国際標準化」の今昔

Category: 経済のハナシ
かつて…外国の高いクオリティに日本の政策・産業をとどかせようという試み
現在…多国籍企業の低い水準に日本の政策・産業を合わせようという試み

現在の「国際標準化」は、悪いほうに均質化していく。
安全性の基準も、労働条件も、なにもかも。
日本のかつての高い福祉・安全はそぎ落とされていく。


問題はおそらく多国籍企業(のパワーとその使い方)にある。
外国が悪いというのではないと思う。
諸外国には守るべき国民も領土もある。
国によっては、現情勢から国民を守ろうと躍起になっているところもある(と思う)。

ただ、今の日本政府には、我々国民を守る気すらないらしい。
その面では、今の政府にも大きな問題がある。
Comment:0  Trackback:0
2013
04.23

ユニクロ社員の給与は下がりつづける。

Category: 経済のハナシ
ユニクロが世界同一賃金を導入するという。 
まさにグローバル化の先駆といえる。
が、これは決してほめ言葉ではない。

優秀な人材を確保するというが、こんな方策でできるはずがない。
世界同一賃金ということは、労働者の賃金は上がることはないからである。
給与の下がり続ける企業に勤めることなど、優秀な人間はしない。


正規労働者と非正規労働者では、成果が同じでも賃金差別は起こっている。
これで同一賃金にするのであれば、必ず低いほうへ合わせられる。
そうでないと人件費が馬鹿にならないからである。
そもそも非正規を大量に使うのは、そのほうが安く済むから。
であれば、同一賃金にするのなら正規の給料を下げないと意味がない。
「成果が同じなのだから(お前が悪い)」。それが多国籍企業の常套句である。

他にも問題はある。
お金というものは、レートに左右されるし、各地で物価も違う。
どこを基準とするのか。
おそらく、ユニクロにとって一番都合のいいところだろう。


今後、ユニクロでは世界をまたにかけて賃金を下げ続けることになる。
そして、これに追随する多国籍企業も現れるだろう。
労働者を痛めつけるこんな企業は終わらせなくてはならない。

一般市民にできることはないか。

我らは消費者である。消費者として、市場の一員になっている。
 ユニクロ不買運動でも始めようではないか。
就活生よ、ユニクロなど入ろうとするな。
 彼らは君らの給与を下げ続ける。
ユニクロ現社員よ、反対運動を起こせ。
 あなた方にはその権利がある。

Comment:0  Trackback:0
2013
04.20

なにをすべきか。その5-何より必要なこと。

Category: 未分類
これからの世の中を考えるにあたって、決して譲れないことを先にまとめようと思う。

抽象的にいえば、なるだけ多くの人が住みやすい世の中になること。
具体的に言うなれば、ただ一つ。
-平和。
求むはこれのみ。
  

ここから私の考える「住みやすさ」のすべてが派生する。

・他国との平和
  -軍隊はいらない。兵器もいらない。
   「国を守るため」の軍隊は、その実「脅威」として他国が攻撃する口実になる。
   世界唯一の被爆国は、核の傘の下で生きるのではなく、核の廃絶へ先頭を行くべき。
   平和憲法を持つ国は、他国の軍と生きるのではなく、非武装で平和的に交渉をすべき。

・他者との平和
  -他者を自分と違う他者として認識すること。
   他者も自分と同じ人間として認識すること。
   人にしてほしくないことは自分もしない。
   国民をだますような政府はもってのほかである。

・自分との平和
  -自分に優しくすること。
   今の自分にだけでなく、過去の自分、将来の自分にも優しくする。
   だらけるのではない。過去のために今の自分を責めすぎない。が、
   将来の自分が生きやすくなるような行動、考え方をする。


自分のしてほしいことは、他人にしてあげることでしか得られない。
だから、他者との平和と自分との平和は切り離せない。

他国との関係も、他者との関係の延長にある。
他国とはいえ、対話の相手は生身の人間だからである。

すべては「平和」のもとでつながっている。
これだけは、なにに変えても譲れない。
Comment:0  Trackback:0
2013
04.19

「道州制」は有りや無しや?

Category: 時事
前に「道州制基本法案」をけちょんけちょんに言ったが、道州制それ自体はどうなのか。

彼らが言う道州制(の表向き)は、「10の道州を新たに作り、地方分権を進める」ため、国の関与は最小限になり、各道州が自らの責任で地域を発展させられる、といったあたりだろう。


しかし、彼らが求めるのは次の二つ、「国の責任回避」と「中央集権の強化」だと見える。
彼らは、あくまで地方が自主的に中央集権をするように仕向けている。


地方への権限移譲の最たるところは徴税権であろう。
各道州が自分で徴税の管理をするという。
実はこれが地方による中央集権への大きな第一歩である。

つまり、地域ごとに税率が変えられる。
税金の安いところに人も企業も動く。
人口・企業数が多いほうが税収は上がる。
道州は競って税率を下げる。

一番初めに税率を下げられなくなるところは、もともと人企業の少ない地方である。
彼らは、住民へのサービスを継続するために、税率を維持しなくてはいけない。
薄利は多売しないと利益が出ない。住民の少ないところでは使えない戦略なのである。

税が他より高いと、企業はそこから撤退する。
すると顧客が減る、となれば収入を維持するには税率を上げるしかない。
悪循環に陥ることは目に見えているだろう。
そこで、泣く泣く「税収のある」他の地域に合併を申し込むのである。


相当数の地方が、徴税権限を与えられたことによって、消えていく。
残るのは大都市のみ。道州の下にある「基礎自治体」の数も、おそらく道州と同じくらいの数に減ることだろう。
これで「地方による自主的な中央集権」が完了する。


そもそも47ある都道府県が廃止されて、10にまとまるということだけで、中央集権であろう。
なぜこれで地方分権などと言っていられるのか、そして国民は地方分権が進む、と本当に思っているのか。

対処すべき大もとは過疎化・過密化なのに、囲う枠組みだけをいじって、解消したでしょ?とごまかすのは、さすがに馬鹿にしすぎである。

国民の代表がこれだ。なんてこった!!
Comment:0  Trackback:0
2013
04.19

蜘蛛の糸と葱の話。

カラマーゾフの兄弟、小説ではなく映画のほうを見ていたら、
悪女と思われる人が一本の葱の話をしておりました。

それをきいて、蜘蛛の糸にそっくりだと気付きました。
ググってみれば、いろんなところで書かれていました、この二つの類似性。

いろいろ書かれていましたが、私は作者二人の関係はそこまで気にならない。
むしろ、ロシアにおける、キリスト教的世界観のおはなしが、
日本において、仏教的世界観のおはなしになり、
そして庶民に広く受容されている、というのが非常に面白い。

時に違う宗教のものを弾圧するのに、
時に同じ宗教のうちでも殺しあうのに。


宗教というものは、そこまで閉鎖的ではないのではないか。
実は、お互いを分かりあい、受け入れる余裕をもつものなのではないか。

そんなことを感じた、瞬間でした。
Comment:2  Trackback:0
2013
04.18

軍国体制への事始めとしての道州制基本法

Category: 時事
自民党が合意を進めようとしている「道州制基本法案」。
この法案には、大きな問題が2つある。
法案それ自体が法律としての内容を持っていないこと。
この制度をつくる過程がそのまま転用されるだろうこと。


まだ自民党の骨子案を見たことのない方は、ぜひ見てほしい。
これは、あまりにも具体性がなさすぎるのである。

たとえば、第3条の基本理念。自民党ホームページからの引用である。

    「③ 国の事務を国家の存立の根幹に関わるもの、国家的危機管理その他国民の生命、
     身体及び財産の保護に国の関与が必要なもの、国民経済の基盤整備に関するもの並
     びに真に全国的な視点に立って行わなければならないものに極力限定し、国家機能
     の集約、強化を図ること。」
       (http://www.jimin.jp/policy/policy_topics/pdf/pdf077_1.pdfより)

読みにくいのは政治行政の文書の特質だから仕方ないが、どれだけ不明瞭なものが並んでいるか分かるだろう。
「国家的危機管理…」には、自衛隊は入るのか、警察はどうか、消防は、原発は、医療は・・・。どれも国民の生命、身体及び財産の保護に致命的な影響を与えるものである。
「国民経済の基盤整備…」には、貿易は入るのか、為替レートの管理はどうか、株式は、原発は…。どれも国民経済の根幹をなす大問題である。(「国民経済」というでっちあげの言葉もどうかと思うが。)

考え方によって、入るともいえるし、入らないともいえる。
すべてを入れてしまえば、超巨大な中央集権国家ができあがるし、なにも入れなければ一つの国とはいえなくなる。これを何にも記載せず、まるで白紙委任のように法として出そうとするのは、あまりに危険である。

法律になるには大雑把過ぎる。むしろ、「党内の基本的指針」程度にしかならない。
それなのに、なぜ自民党らはこれを法律にしたがるのか。


そこに、おそらく一番の狙いがある。

「道州制基本法案」、この制度をつくるプロセスを利用したいのだ。
つまり、道州制自体は政府(首相)にとってどうでもいい。
この過程が前例として大きく意味を持つものなのである。


白紙委任的に法を成立させ、「道州制」はなったのだ、と国民に理解させ、
そののちに具体的な内容を政令(法律よりも簡単に決まる)で定める。

その具体的な内容は国民に一切知らせない。内容作成にも国民は触れられない。
再び道州制基本法案をみてほしい。
置かれる組織は2つ。「道州制推進本部」と「道州制国民会議」である。
名前からしてすでに胡散臭いが、中身も腐りきっている。

    4 道州制推進本部長
    ① 本部の長は、道州制推進本部長(以下「本部長」という。)とし、内閣総理大臣を
    もって充てる。
    6 道州制推進本部員
    ① 本部に、道州制推進本部員(以下「本部員」という。)を置く。
    ② 本部員は、本部長及び副本部長以外の全ての国務大臣をもって充てる。
    7 組織
    ① 道州制国民会議は、委員30人以内で組織する。
    ② 委員は、国会議員、地方公共団体の長及び議会の議員並びに優れた識見を有する者
    のうちから、内閣総理大臣が任命する。
        (上にあげたアドレスと同じところから引用)

つまり、道州制推進本部=内閣のメンバーであり、道州制国民会議=議員、有識者である。
普通の立法過程と何も変わらない。
なにが違うか。政令で決められる、ということだ。
政令は議会にかけられない、さらに国民にもほとんど知らされない。
こんなメリットを政府が生かさない訳がない。

これと同じ方法で、白紙委任的に法を成立させ、「国防軍制」はなったのだ、と国民に理解させ、そののちに具体的な内容(非核三原則の廃止、軍事費増加、兵器輸出、戦闘地域への派遣など)を政令で定める。


道州制一つを認めるだけで、遠からず、大量に、起こる。
50年も使われてこなかった再可決による法律制定が、一度使われると2年もたたない間に10以上も使われたように。

国民と議会をないがしろにする、こんな立法を認めてはいけない。

Comment:0  Trackback:0
2013
04.17

「長期的展望のもと」で

Category: 時事
ということ自体はなくてはならないものである。

しかし、「長期的に考えているのだ」という発言が
今現在の不合理を維持(or改悪)する言い訳になってないか。

長期的にどう動くのか、そしてそのプロセスはいかなるものか、そのゴールは。
それを示して説得できねば、問題を先延ばしにしていると判断される。

そして実際、そのプロセスを示さない者は、問題を先延ばしにしているだけなのである。
「自分の任期中だけ何とかしのげば、それはもう俺の責任じゃない。」
「下手に手を出して問題を露見させてしまうと、あとで非難されるのは自分だ。」
使い勝手の良いこの言葉は、各種トップ層の人間に好まれる傾向にある。


というか、この言葉は下位の者を黙らせるために使われている。
「『長期的視野』を持たないお前らにはわからないだろう、だから黙って俺に従え」
彼らが言いたいことはこれに尽きる。

我らは馬鹿扱いされているのである。
Comment:0  Trackback:0
2013
04.15

今日のデキゴト。

すてきな子に出会った。

自転車を押して歩いていたときに、後輪が縁石にちょっとぶつかった。
そのとき、すぐそばにいた小学生が「大丈夫ですか」と声をかけてくれた。

「大丈夫、ありがとう」と答えたが、とっても胸があったかくなった。

きっとあの子は、やさしい両親のもとでのびのび育っているのだろうな。


Comment:0  Trackback:0
back-to-top
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。