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2013
07.28

「リーダーシップ」という独裁。

法の遵守、コンプライアンスはどこでも必要な構えだ。
しかし、悪法も法であるか。

企業のような大きなところが法を守らないのは害が大きすぎる。
しかし、企業、殊に大企業は力が強い。
彼らは国に圧力をかける。その一が原発再開。
国は法人税を稼ぎたいがために、彼らにすり寄った政治と法を進める。


いつの間にか、施政と立法は同じ権力者の手に渡ってしまった。
国、内閣、という一権力者に。
だからこそ、法人税という金稼ぎのために、法が動く。
いつの間にか、ではなく、昔からそうだったのかもしれない。
それが、自民党内の派閥間争い、という茶番によってごまかされていた。

議院内閣制をとる国の弱点。
議会と内閣の癒着。
これによって、施政と立法は一つになる。
三権分立ではなく、2対1の権力構造になる。
この上に、「リーダーシップ」なる名目で首相権限を強めたら、どうなるか。
首相による独裁政治になる。

そして、今の日本の方向も、ここへ進んでいる。


為政者と立法者が同じ状況で、
三権分立の成り立っていない状況で、
悪法にも従わねばならないのか。
独裁に向かうこの政治を、容認していてよいのか。

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2013
07.25

人は,自分の思い通りになるものを作りすぎた。

Category: 未分類
本来、生き物と生き物の間柄だから、
自分の思いどおりなんてありえないわけよ。


でも、いつのまにか、自分の思い通りにならないと怒るようになった。

自分の身近にあるものは、全てボタン一つでいうことを聞くから。
なにもかも、抵抗も嫌がりもせず、ただその通りにするから。

そして、たまにフリーズしたり、バグったりすると、
悪いのはその機械だから、いらいらする。


自分の思い通りになるものを作りすぎた。
自分の思い通りになるものに囲まれすぎた。

本来は、生き物と生き物の関係なのに。
自分の思い通りなど、ありえない世界なのに。

どこもかしこも。

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2013
07.23

仕事を求める姿勢、働きがいを求める姿勢。

自分の好きなこと、したいことは何か。という観点から始めるというのでは、
根本の姿勢が、間違っていたかも。


自分の必要とされる場所は、どこなんだろう。
ここから働く場所を求めてもいいのではないか。
「働きがいのある」って、そういうことでしょ?

一緒に働いている人たちや世間から必要とされているということ、これが働きがいにつながる。
であれば、人を必要としているところを。
自分の性質に明らかに外れていないところであれば、よいかもしれない。
向いていない人よりも役に立つだろうから。

頭のいいやつは、どの分野に行っても、活躍できる。創意工夫を求めるから。
どうせ仮の住まい。
仮の稼ぎどころだっていいじゃないか。その中で創意工夫を求めていけば、楽しくなる。


さあ、どこが人を必要としているのかな。
従事者の高齢化が進む仕事とか、高齢者では厳しい仕事とか。


なんやかんやいってるけど、
就活終わった、とかいってる友達見ると、まともだなと思う。
そんな当然なこともできない自分は、まともじゃないなって思う。
まともにもなれない。
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2013
07.18

規定された選択肢。

ロシア人の、プーチンに対する批判は強まっている。
そのニュースから、一つ。

http://www.huffingtonpost.jp/2013/06/15/vladimir_putin_n_3445382.html
より引用。
「世論調査によると、4月時点で与党を「詐欺師と泥棒の集団」と考える人は51%で、2月の40%よりも増加している。」
(下線は引用者)


おもしろい。
自由記述ならば、こんなにパーセンテージがはっきり出ることはない。
世論調査の選択肢に、現実に『詐欺師と泥棒の集団である』というものがあったのだ。
日本なんて、「支持する」「まあ支持する」「どちらともいえない」「あまり支持しない」「支持しない」くらいだ。
もしくはどこの党を支持するか、無党派か。
この差は一体何なのだろう。

そして、彼らの世論調査の選択肢には、他にどんなものがあったのだろうか。


日本でも、「詐欺師と泥棒」までいかなくとも、バリエーションがあっていいと思うのだが。
あげるとすれば。
「富裕層を優遇する」「発言が軽率」「強権的」
価値中立的にしなくてはいけないから、その反対も必ず併記する。
「貧困層を優遇する」「慎重な姿勢」「民主的」

こんなんだったら、もっと世論調査はおもしろくなる。
もっと意義のあるものになる。

そして、現政権に対する調査でこうあれば、わたしは真っ先に上3つに○をつける。
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2013
07.17

「共通のもの」「公共性」「集団」。

http://www.youtube.com/watch?v=SXh7JR9oKVE
『Christmas Food Court Flash Mob, Hallelujah Chorus - Must See!』
http://www.youtube.com/watch?v=3eOrABjYDJU
『Mamma Mia! - Flash Mob no Shopping Vila Olímpia』

こういったものを見ると、よく感じる。
日本がいかに「公共性」「みんな」をなくすことに努めてきたか。

戦後のこの指針は、「お国のために」をなくし、戦争をさせないようにしてきたが、
共通のものをなくし、普通の人々が国を作っているのだ、という意識をも奪ってしまった。
「みんなが知っている」という、人と人との結びつきの根幹を奪ってしまった。


今の日本人は、彼らのようにみんなが知っている曲、みんな一緒に歌える曲をもっているか。
「私はこれが好き」「私はあれが好き」それで終わってしまうような世界。
ハレルヤのような曲は、存在しない。
宗教色が強いから駄目だとか、そういった話ではない。

宗教は悪用されれば非常に危険である。
しかし、共通の基盤を我々に与える、という面では非常に大きい力を持つ。
共通の宗教を持とう、と言っているのではない。
なんでもいい。「共通のものをもっている」ということが安心と信頼と当事者意識を与える。
赤の他人など、どうなってもいいと感じてしまうのが人間の性だから。


彼らは持っている。
「聖書」という共通の書物を。「ハレルヤ」という共通の歌を。
キリスト教的だから日本には合わないという話ではない。
日本人も、聖書とハレルヤを持とうと言っているのではない。
我々にないものを、彼らは持っている。「共通のもの」を。
「共通のもの」が「個人」の存在を守る。

「個人」は集団がなくては存在しえない。
個人主義を志向する欧米ほど、多種多様な中間団体が存在している。
国から個人を守るのは、他でもない自分の所属する集団だ、ということを知っている。
労働組合、自治会、大学、地域サークル、さまざまなグループに複数参加する。
それらが個人としての自分を、他から守ってくれる。


日本は、個人を推し、その邪魔になるものとして、団体を根こそぎ排除していった。
慣習、伝統、そういったものを、「古臭い」「非合理的」として、悪としてきた。
共通のものを、とことんまで蹴散らしていった。
その結果、人は国にも他人にも、自己との共通性を感じられなくなった。
これが、政治に無関心になり、他人に無関心になり、精神を病む、という現状を生み出した。
だって自分に関係ないんだもん。赤の他人だもん。関心を持てという方が無理がある。


みんなが知っているもの、それがなければ、人は人とつながれない。
かつ、それらは簡単に生み出せるものではない。
長く続いてきたからこそ、みんなが知っていて、長く続いてきたからこそ、慣習たりえる。

取り戻そう、みんなが知っているものを。
大事にしよう、人が人とつながれる「共通のもの」を。
国に対して立ち向かうには、個人はあまりにも脆弱すぎるから。
「個人」を守るには、「共通のもの」と「所属団体」が必要だから。
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2013
07.16

元首相による現首相提訴。

Category: 時事
菅元首相が安倍首相を提訴したと。
原因は現首相のメールマガジン。

ヤフーニュースの記事を少し引用します。
「首相は『東電はマニュアル通り淡水が切れた後、海水を注入しようと考えており、実行した。しかし、やっと始まった海水注入を止めたのは、何と菅総理その人だった』と記載。その上で『海水注入を菅総理の英断とのウソを側近は新聞・テレビにばらまいた』としている。」


ここで問題なのは、3点。
首相が東電側の潔白を主張していること。
原発事故悪化の責任を菅元総理に押し付けていること。
そして、これをメールマガジンという媒体で発信していること。

菅直人の行為が不適当というのではない。(提訴自体がどうかではない)
彼が提訴をして、このメールマガジンの存在が公になったことこそ重要。
そうでなければ、こんなバカげた発信がスルーされるところだった。


一国の首相ともあろう人間が、これほど軽率でよいのか。

菅が本当は何をしたかは知る由がない。
しかし、東電は潔白ではない。
情報を隠蔽し、作業員に莫大な放射線を浴びさせる。
我々にもまともな情報など流しはしない。安全だ、の一点張り。
あれほどの損害を出したにもかかわらず、我々の税金を食って、企業体は存続しつづける。
さらにはその原発すら再開させようしている。


菅がなにをしたのかは知るすべがない。
それを糾弾しても始まらない。
問題なのは、現首相が事故の責任を他人に押し付け、東電の無罪を主張していること。
他人を非難して自分の地位の安泰を図ろうとするような人格の持ち主であるということ。
あの事故があってもなお、原発を再開させようと躍起になっていること。

提訴がよかったか悪かったかではない。
菅直人が好きか嫌いかではない。(個人的には好きではない)
が、彼が提訴しなければ、このアホみたいなメルマガが表に出ることはなかった。
その面で、マスコミへの話題提示という「情報公開」の面で、菅直人のこの行為には感謝。
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2013
07.15

リーダー不在。

Category: 雑感。
(五野井郁夫『「デモ」とは何か』を読んで。)

これほど民主的なものはあろうか。

反原発デモに対して、政治家がリーダーとの対話を求めても、誰もリーダーではないという。
これほど民主的なことがあろうか。

リーダーなどいない、もしくはみんながリーダーだ。
権力を握るもの、人よりも力を持つものは存在しない。
みんなが平等に発言権を持ち、全員参加で合意を作る。
これほど民主的なことがあろうか。

オキュパイウォールストリートでも、そうだった。
リーダー不在。
これは先のスペインでのデモで用いられた手法だという。


日本では、政治に無関心な者は多い。期待していない者はもっと多い。
アメリカでも、大企業の代理人となり下がった政治家たちを99%は冷めた目で見ている。
そんな中、オキュパイウォールストリートの参加者たちは思い立った。
間接民主主義が失敗しているのだから、直接民主主義を試したらどうか。

政治家などあてにならない。
政治家は我々を食い物にする。
ならば、彼らに政治を任せる代議士制などやめてしまえ。


自分たちのことは自分たちで決める。
数が多いと決まらない?
だから小さな集団で決めるのだ。
日本国一億人で話し合うのではない。
自分たちの所属する集団、所属する地域で納得いくまで話し合って決める。

そもそも、あれしかいない政治家たちだって、何にも決められないじゃないか。
決めたとしても、それが我々の意向を無視したものならば、何にも意味がない。
彼らは話し合って物事を決める、ということを知らないのだ。
政治家がするのは合意形成ではない。数の力で押し通すだけ。
「自分たちの意見が正しい」ということを疑わない強権的集団。
じゃあ、自分たちで決めようじゃないか。


もうここまで来たら、比較考量だ。
政治家に決めてもらうのがいいか。
それとも自分たちで決めるのがいいか。

すでに間接民主主義の限界を知った以上、
すでに日本の政治家は役に立たないどころか、我々に害を与えることがはっきりした以上、
このまま政治家に任せておくことはできない。

じゃあ、自分たちで決めようじゃないか。
リーダー不在。
数多くの小規模集団、中間団体の中で、参加者みんなが平等に発言権を持ち、
とことん話し合って、合意形成をする。
そしてそれは日本だけにとどまらず、世界各国で始まっている。


政治家が役に立たないのは、今だけではない。
政治家が一般市民をいじめるのは、日本だけではない。
ならばきっと、間接民主制がうまくいかないのだ。
じゃあ、自分たちのことは、自分たちで決めようじゃないか。

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2013
07.14

「著作権侵害による削除」で侵害される利益。

Category: 経済のハナシ
ユーチューブの動画を、著作権侵害を通報して消させる人や、
「これは著作権の侵害だからやめたほうがいいですよ」とコメントする「プチ正義」は、
わかっていないのかな。
広告費をかけず、手間すらかけず、それでいて大きな宣伝になっているということを。


アップされたのがテレビ番組なら、それをきっかけにオンタイムでみてくれるかもしれない。
なにせ、次回分がアップされるとは限らないから。
ドラマなら、その続きだけでなく、同じ出演者の別なドラマを見てくれるかもしれない。

音楽なら、それをきっかけにシングルなりアルバムなり買ってくれるかもしれない。
コンサートにも来てくれるようになるかもしれない。


なにより、その俳優なり歌手なりを好きになってくれるかもしれない。
刷り込みは大きな力を生む。
何度も見る、何度も聞く。
ユーチューブならテレビと違ってそれができる。
そうすれば、はじめ嫌だった曲も、自然となじみの曲になっている。

スーパーのCMソングと一緒。
店に入ったばかりでは「変な曲が流れてる」くらいにしか感じていなかったものが、
店を出た帰り道にはすっかり口ずさんでしまっている。


利益を得ているのはユーチューブを見る人だけではないんだよ。
アップされる側にも、顧客の増大という大きな潜在利益がある。
それを、なにか正義が「著作権侵害」で削除するということは、
アップされる側の潜在的利益をも侵害していることになる。

著作権に関する、こんな文章もある。
http://labaq.com/archives/50792473.html


もういっそのこと、「著作権侵害」で削除するのはやめにして、
潜在的顧客(=我々)にたくさん視聴してもらおう。
そうすれば、きっとCDの売り上げもコンサートへ行く人もテレビの視聴率も伸びる。
テレビ業界もCD業界も演者も、そして消費者も、きっとみんなが喜ぶ。

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2013
07.13

残り4分の3のスタート地点。

Category: 未分類
人生80年と考えると。
いま、その4分の1を通過したところにいる。
残りは4分の3だ。
時間軸で見れば、そこまで遠い将来でもない。
どう過ごそうか。
どうであれば望ましいか。

どうせなら、楽しくてハッピーな人生がいい。
いや、楽しくなければ、ハッピーでなければ人生じゃない、とか言ってみたり。


4分の3のスタート地点にいる現在。
「金」に縛られてはいけない。
なんとなればバイトでも奨学金でもローンでもかまわない。
本当に、一番、自分の「一流」に近づける道を。


自分にとっての「一流」って何だろうか。
あったかい家庭がいいんだ。
家庭だけでなく、近所の人たちと仲良く付き合っていけるのがいいんだ。
そうすると、地元で独立、毎日食べられる料理を。かな。

でも、「公邸料理人」なんてのを発見した。
すごくおもしろそうだと思った。

何より大事にすべきは、自分の感覚。
「おもしろそうだ」という直感。
この「おもしろそう」を現実にするために。

まずは、これを中間目標にしてみるのもいいのではないか。


あ、でもこれだと、犬とか飼えないかも。。
犬と暮らしたいんだよなぁ。
でっかいの。ゴールデンとか、バーニーズとか。

自分の中での優先順位は、どれくらいなんだろう。続きを読む
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2013
07.12

トルストイを読んでいて。

気づいた。
また忘れてた。

読んでて楽しくなるような、嬉しくなるような文章を書くんだった。


それなのに、なにか自分が啓蒙者にでもなった気でいた。
とんでもない誤解をしてた。

暗い現状を直接に批判したって、悲観的になるばっかりだから、
それよりも、望ましい将来、来るべき未来を語ろうではないか。


原発の悲惨さはみんな知ってる。
それを推進する彼らを罵倒するよりも、

原発なき世を描いていったほうが、
原発をなくしていく発展的方法・過程を描いていったほうが、
建設的で、なおかつ楽しいじゃないか。

すっかり忘れてた。

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2013
07.12

首相と日銀総裁の自信。ー政策を「矢」と表した意味。

Category: 経済のハナシ
物価上昇は可能だろう。
首相の一声で上がる。

しかし、それが国民の給料上昇につながるか。
つながらなければ、我々に痛みを与えるだけの政策になる。

また、円安効果で輸入品の価格は押し上げられた。
輸出には有利になれど、日本は農家の飼料、製造業の材料など多くが頼る輸入には不利。

現実として、物価は上昇してきている。
現実として、給料は上がってきているか。
否。


第三の矢、GNIの上昇はなされるか。
給料が上がらねば、上がりようがない。
さらに、「多様な正社員」という名の「みんな非正規政策」が追い打ちをかける。
給料が上がるどころか、労働者は解雇に怯える日々になる。
となれば、労働者はみんな貯蓄に向かう。
貯蓄に向かえば、市場にお金は回らないから、経済は冷え込む。

それどころか、企業は自由に解雇できるわけだから、労働者の地位は低くなる。
企業の力が強くなり、労働者は解雇されるならと、賃金交渉に屈するようになる。
労働者の懐はさびしくなり、市場に回せるお金の総量自体が小さくなる。


それから、蛇足ではあるが、公共事業の拡大という財政出動。
この第二の矢は景気の下支えをするという名目だが、
高度経済成長期の幻想に今だ縛られているとしか言いえない。
さすが自民党。
現代が公共事業の出る幕のほとんどないことに気づいていない。


矢は放てばいいというものではない。
的に当たらねば、全く意味のないものとなる。
的は、彼らに見えていたのか。
的は、射程距離にあったのか。
物価の上昇、財政出動は彼らの目と鼻の先にあったのだろう。
自分たちでたやすくできるものだったから。

国民の所得増加は、射程距離にあったか。
彼らの政策は、どうもそれと逆行する形にしか進んでいない。
みずから的から離れて、放ってはみたが当たらなかった、などという言い訳は通用しない。
彼らは、どうも第三の矢を当てる気はないようだから。
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2013
07.09

石がみずから光を放つわけではないのだ。

ほしかったのは星そのものじゃないんだよ。
はなつその光なんだ。

がんばって、がんばってその光り輝くものを手に入れようと思ってたけど、
手にしてみたらただの石だった。
ほしかったのは石じゃないのに。

手をかざしてもなお光はわが手をすり抜ける。
ほしかったのはその光だった。


混同してたんだ
石っころと、光を。

光はどこに?

光ってるように見えたから、星は輝いているものだと思っていた。


どこまでが正しくて、どこまでが間違っているのか。
いつから石を光と間違えたのか。
なぜ石と光を混同してしまったのか。

いつからほしいのは石だと思ってしまったのか。
あの光はどこへ行ってしまったのか?
あの光はどこにあるのか。


いつまでも石を持っていたって、それは光らない。
だってただの石だもん。
他人にとっては、ダイヤの原石だとしても。
ただの石だもん。
少なくとも、私にとっては。
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2013
07.07

真逆のニュアンス。


一方で執念深いといい、一方で努力家という。

形容している性質は、きっと同じ。

物事にこだわり、容易にあきらめない。
何度も繰り返し挑戦し、修正と改善を重ねる。
めざす結果のために。

めざす結果が、はたから見て望ましいものならば、人はそれを称して「努力家」と呼ぶ。
めざす結果かその過程が、はたから見て望ましいものでなければ、「執念深い」と呼ぶ。


客観的ではない。この区別は。
似たような性質を形容するのに、使えることばはいつも複数ある。
ほぼ常に、プラスの意味合いとマイナスの意味合いを選べる。

「はたから見て」「望ましい」
判断するのは、その性質を眺める者。
自分であれ、他人であれ。
判断するものは、みずからの価値判断を加える。
自分のであれ、世間のであれ。


乱暴だなぁ。
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2013
07.07

私も原発いりません。

Category: 未分類
反原発運動を起こそうー7月7日(日)11時 首相官邸前へ。
http://www.100mothers.jp/movement/index.html


ママは原発いりません 福岡
http://mamagen.jimdo.com/


短冊持って、出かけよう。
大事な家族、気の合う友達と一緒に。

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2013
07.06

「社会復帰」なることば。

Category: 雑感。
社会復帰って何だ
まるで復帰すべき理想郷、まともな場所があるみたいじゃないか
まるで社会の外にいるみたいじゃないか

そうだった
社会的抹殺
この国では、物理的な抹殺よりも社会的な抹殺の方が多いんだった。

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2013
07.06

もったいない世の中。ー大学は何のために?

Category: 学業のハナシ
http://otani-nyushi.seesaa.net/article/279636795.html


児童・生徒・学生という16年、その終盤にいるが、
いつから失ったのだろう。
いつから忘れてしまったのだろう。
気づけば、どれもこの手の中にはなくて。

いや、もともと気づいていなかった。
気づいていないが、かつてはきちんとあった。
少なくとも、小学校低学年の3年間は。
引っ越してしまう前までは。


中学、高校はどうであったろう。
少なくとも、愉しかった。高校は特に。
いわゆる「進学校」でなかったし、3年間ずっと同じ仲間で、
密度の濃い、充実した環境。
クラスの友達との関係においても、勉強においても。
定型的ゴールを置かない環境、「入試合格」を目標としない環境。
(高校の目標を難関大合格におく「進学校」は、高校の存在意義を自ら否定しているも同じ)

自分は、勉強を友達に教える、ということでできる喜びを分かち合えた。
なかなかタイプの違うクラスメイトで、話すことはあまりなかったとしても、
「この問題教えて」のことばで、付き合いのある友達になれた。
そして、「ありがとう」と「教え方がうまい」とまで言ってもらえた。
二重にも三重にも広がる愉しみ、喜び。


大学は。
大学って何なんだろう。
「一般企業就職校」でも「大企業人養成校」でもないはずなんだけど。
みんなが当たり前としている「就活」「仕事」「経済」「政治」その他あらゆる「常識」を
疑ってかかり、かつ妥当な批判と適当な代案を提案することこそ大学の本分ではなかろうか。
そして大学生は、それを学び、実際に考え、深めていくことを必要とするのではないか。

それにもかかわらず、大学に入っても彼らは何にも変わらない。
高校の時と同じ価値観で、大学4年を「無難」に過ごし、
勉強は試験に受かるのに必要な範囲と必要な限度でのみ行い、
メインは部活とバイト。


高校のゴールが「入試合格」であったと同じく、大学のゴールが「入(社)試(験)合格」。
高校の時にもなぜ大学に行くのかなんて迷わなかったから、大学の時にも迷わない。
だからトコロテンのようにスムーズに流れて押し出されていく。

一般企業からすれば、そういった人材のほうが使いやすいだろう。
既成の価値観、秩序に何の抵抗も疑問も抱かずにしたがってくれるのだから。
たとえそれがおかしくとも、害あるものでも、偏見に満ちたものでも。
彼らは流れに逆らったり、しゃがみこんで流れを押しとどめようとしないから。
これが政治的無関心とも結びつく。


いまや大学すら高校化してしまっている。
「既成の秩序への疑問提起」、大学だからこそできる、不可欠なことを誰も覚えていない。
小中高の12年間、全く考慮されず、「批判的態度」を持たないからと、むしろ意図的に避けられてきた、主題。

そして、その中で苦痛と無理解を味わってきた者たちへ、最後に差し伸べられうる手、
また、これまでと違う環境へ飛び込み、苦痛と無理解を感じ始めた者へ、差し伸べられうる手、
「既成秩序への疑問提起」というクモの糸が、なくなりかかっている。
これでは、大学という4年間と授業料とつぎ込まれている税金と、なにより大事な「可能性ある才能」は、大半をどぶに捨てていることとなる。

これほど才を生かせない世の中、もったいない世の中、あろうか。
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2013
07.04

歴史観。ー日本人はみずからをおとしめているのか。

侵略、植民地化、同化政策、残虐な仕打ち、集団自決、…

日本人が自国の歴史として学んできた数々の所業。
日本がかつて行った、残忍な歴史。


これらは、日本人がみずからを卑下するために学んできたことか?
他国の人々に対して卑屈な態度をとるために学んできたことか?

そして、日本人はみずからに誇りを持つために、
新しい歴史観を、侵略を否定し、残虐な仕打ちを否定する歴史を持ち、教えるべきか?


いや、違う。

かつての軍国日本の残虐さを描くことで、
今の我々の国、民主化した日本に誇りを持つためではなかろうか。
(事実としてどのくらい民主化しているのかは大きな問題だが)

昭和の初めまであれだけの非道な行いをしていた国が、
いまや平和を掲げ民主化に成功し、軍事抜きに一大国になっている。
このことに誇りを持つために、それ以前の残忍な歴史を学んでいるのではないか。


現在の国のありかたを肯定するために、過去の非道であった歴史を学ぶ。
歴史というのは、つねに新しく書きなおされていくものだ。
ならば、スサノオノミコトの時代から脈々と誇るべき日本が続いてきたと考えるのではなく、
かつての残虐な時代、戻りたくないその時代を後ろに抱えているからこそ、
現在のありがたみ、この平和と安全を失うことのないように尽力しようと考えるのではなかろうか。


それを何か勘違いして、自虐する歴史観のために日本人は堕落したなどという政治家がいる。
それも少なからず。
誇りを持つべきは過去ではない。
軍国日本に対してではない。
平和と民主を成しえたという事実に対して。

誇りを持つ対象は日本国ではない。
崇高なのは国ではない。
「愛国心」では語れない。

誇りを持つのは、平和と民主、この崇高な理念に対して。
戦後の日本が掲げたこの理念に対して。
そして、誇りを持ってこの崇高な理念を現実化し、日本の隅々に広めていくのだ。
これこそ、自分の国に誇りを持つということだ。
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2013
07.03

「1人当たり」指標は我々をますます孤立させる。

高齢者一人に対する、それを支える現役世代の割合。
1965年…9人、2012年…3人弱、2050年(予測)…ほぼ1人
高齢者一人が板の上に座り、下で現役世代がそれを頭の上で支えている画。

当たり前のように見てきたこの指標。
たしかに昔よりも支えるのが困難になってきていると思わせる。


「一人当たり」でみる癖がついてしまっている我々。
しかし、この見方、おかしくはないか。
まるで、我々が皆一人につき一人の老人を養わねばいけないような錯覚を与える。
そんなことできるはずがない。
自分の事だけで精いっぱいなのだから。


でも、本当はそうではない。
一人が一人の面倒をみるのは大変だ。全ての時間を取られる。
一家庭内のみで行われる育児、介護もこれに当たる。
しかし、20人が20人の面倒をみる、とすれば、どうであろう。
どんなに好待遇な介護施設、保育施設でもこれにはかなわない。

そして現実は、割合としては二人で一人。一人ベースで考えるのではなく、
20人で10人の高齢者を支えると考えれば、かなり楽にならないか。
そしてこれこそ、支える側にとっても支えられる側にとっても、望ましい支え方ではないか。


「ひとり当たり」という指標の欺瞞。
我々に不安ばかり与えて。
お前らの肩にのっかかっているのだと。
まるで自己責任だと言わんばかりに。

介護、育児。金のあるものは外部化し赤の他人に「仕事」として与え、余裕のないものへの調節弁はすべて一家庭という個人に押し付ける。


解消すべきは個人主義を追求して、結果人々を孤立させているその思考ではないか。
復活させるべきは権力体でも個人でもない、その中間。
緩やかなコミュニティ。
人と人との日常的なつながり。
これが孤独死にも介護疲れにも幼児虐待にも歯止めをかける。

個人主義を掲げるヨーロッパには、このコミュニティが確固として存在する。
国でも権力体でもないこの中間的な存在が、個人を守ってくれると経験的に知っているから。
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2013
07.02

誰のための電力会社か。ー株主の利害≠一般市民の利害。

Category: 経済のハナシ
少し前に、株主総会において脱原発を訴える議案が否決されたことを受けて。
→否決は何を示す。)
参照したものは、各電力会社のHPや年度報告書。

株主構成をみれば、なぜ全ての電力会社で否決になったのかがよくわかる。
ごくごく単純な足し算引き算です。
結果を見れば、疑問に思われてなりません。いったい電力会社とはだれのためにあるのか。


まずは、前提。
株主の種類は、大きく分けて5つ。
「政府・地方公共団体」「金融機関」「その他法人」「外国人」「個人」(「自己株式」)。
自己株式には、議決権はないため、分母にも入らない。

脱原発議案に反対することが明白なのは、以下の三種(「絶対反対派」と呼びます)。
「政府・地方公共団体」…政府の意向は原発推進。
「金融機関」…電力会社は他の企業とは違って、決してつぶれない超安定した投資先。
「外国人」…日本で原発の事故が起こっても関係ない。
つまり、それ以外の「その他法人」「個人」が、可能性として脱原発に賛成をしうる。


さあ、以上をもとに、各電力会社の株主構成を見てみよう。
    絶対反対派の合計 その他法人 個人 (%)
北海道    51.8     7.3   40.9
東北     50.8    6.7    42.5
東京  < ※ >
中部    54.6    5.0    38.6
北陸     49.2    6.8    44.0
関西     54.8    5.0    34.3
中国     44.6    16.7   36.4
四国     44.3    8.6    39.7
九州      58.2    5.2    35.9

※東京電力は、原発事故の影響で議決権ある株式の過半数を「原子力損害賠償支援機構」という国の統制下にある機関が持っているため、脱原発反対派が確実に過半数を超える。


これだけで、大半の電力会社は決まり。
さて、絶対反対派が過半数を占めない北陸、中国、四国はどうなるか。

自己株式を考慮すれば、中国には2.3%、四国には6.9%が議決権をもたないことになる。
それを考慮すれば、反対派の割合はそれぞれ45.6%、47.8%まで上がる。

それから、株主の議決権は任意のものだから、特に個人には投票しないものもいる。

北陸、中国、四国の絶対反対派が49.2,45.6,47.8まで確定していれば、
その他の人間の全てが団結しないかぎり、ひっくり返すことはできない。
脱原発賛成派がこれを覆すのは限りなく難しいだろう。


勝負をする前から、決着はついていた。
株主総会において議決をするまでもなく、結果は決まっていた。
議決以前の、株主構成の段階から。
それにもかかわらず、脱原発は不可能だと思わせるようなメディアの報道。

もともと決まっていたのだ、株主総会の結果など。
政府も金融機関も外国人も、大事なのはカネ。
我々一般市民の安全など考えちゃいないんだから。

それにしても、いったい電力会社はだれのためにあるのか。


追記には、合計する前の各電力会社の株主構成を、種類ごとに%で載せておきます。

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