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2013
09.29

政府による解釈改憲への憤りはおさまらない。

Category: 平和と戦争。
憲法は、政府を縛る国の最高法規であって、
政府が解釈を変更する、などということはその性質上許されない。

それは、犯罪者が自ら刑法の解釈を変更して、
自分は該当しないから無罪放免だ、と言っているに等しい。

憲法は政府を縛っているものだから、
政府が憲法の解釈を変えるなんてそもそも不可能。
ことの性質上許されない。

政府は集団的自衛権の行使をしたいがために、
この無理を押しとおそうとしている。

ふざけるな。
こんなこと、許してはならない。


でも、これを裁判所は裁けない。
なにか具体的な訴訟として持ち込まれないと判断できないし、
そもそも具体的な訴訟として持ち込むこと自体が不可能。

「平和的生存権」は憲法上認められていないし。
なにか現実に、具体的に、侵害されるものもないし。
実際に派遣されることになれば、生命の侵害はありうるが、そうなってからでは遅いし。
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2013
09.24

婚外子の遺産相続における違憲判決について。

Category: 時事
この違憲判決に、異議を述べている人も少なからずいるが、
私自身は、いいとも悪いとも言えない。
いいとこも悪いとこも半々、っていう印象を受けます。


ただ、ひとつ気になるのは、婚外子=不倫だから、違憲はおかしい、という意見。
婚外子=不倫、とは限らない、よね。

実子&婚外子の例として、
奥さんは旦那と結婚して子供も生まれた。
しかし旦那が早くに亡くなってしまった。
その後奥さんは新しい旦那を見つけたが、何らかの都合で婚姻届は出さず。
それでも同棲して、新しい旦那との子供も生まれた。
こんな状況だって、あるでしょ。

その後何十年もたって奥さんも亡くなり、遺産争いが起こってしまった。
そんなときに、前の旦那の子どもと、後の旦那の子どもとで、どうして遺産が変わる。
子どもたちへ渡す遺産は2:1なんて、おかしいでしょ。


もちろん、実子と婚外子のいるパターンが、みんなこうではないことは知っている。
でも、婚外子=不倫、と決めつけ、嫌悪感がある、なんていうのは、早計に過ぎる、よね。

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2013
09.21

シンガポールは、思想統制&独裁国家なんだって。

一人の人間に必要なことは、その人間が生きやすいことである。

一つの集団に必要なことは、その構成員がみな生きやすいことである。

一つの国家に必要なことは、その国民がなるだけ多く生きやすいことである。


生きやすさのために必要なものは何か。

自由、平等、平和、これらは何ものにも優先されるべき事柄。

自分の命は守られる、ということ。
自分の家族の安全は守れる、ということ。
自分がなにを思うか、どう考えるか、強制されない、ということ。


経済の発展なんて、二の次でかまわない。
自分の生命身体を侵害されないことが確信されていて
自分に成長していく自由が認められていること。
これがひつようなこと。

そこに、主義思想の強制は要らない。
シンガポールのようにも中国のようにもなりたくはない。
(シンガポールは「超」思想統制&独裁国家だと、内田樹さんのブログで知った)
そこに、軍隊のこわもては要らない。
アメリカのようにも北朝鮮のようにもなりたくはない。

ちょっと平和ボケしているくらいの安心安全がいい。
この平和ボケを侵害しようとするものは、決して許さない。
その「経済発展」とか「国土保全」とかといった、もっともらしい名目で
我々の自由・平等・平和を制限しようとする輩は、決して許さない。
そしてそのような輩が、今現在の首相やその側近たち、そして経済界の大物なのだ。


原発の存続がいい例だ。
かれらは何のためにそういったことをするか。
そのほうが儲かるからだ。
日本が、ではない。彼ら個人が、である。
彼らの金儲けのために、なぜ我々の崇高な自由や平等や平和を奪われなくてはならないのか。

奪われつつある、既成事実化しようとしつつあるこの侵害を、
決して許してはならない。

「経済発展」という名目での思想統制や自由の侵害を許してはならない。
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2013
09.18

「使う」と「捨てる」と「作る」。

今の社会にいる以上、
ものを消費しなくては生きていけない。
ものを買わなくては生きていけない。
家の中に物が増えたと思ったら、ある程度捨てなくてはいけない。

そうすると、いままでありがとうとか、ろくに使わなくてごめんねとか、
いろいろ考えてしまうのだ。
袋につめた彼らに、頭を下げてしまうのだ。


それとくらべて。
これだからモノ作りはたまらないのだ。
ただのだだっ広い革が、単なる材料が、
何十ものパーツになり、少しずつ組み合わせることでその数が減り、
徐々に形になっていく、その過程が、
たまらない快感を与えてくれるのだ。

カバン作りはあっというまに最終局面。
出来上がった袋部分の上に、ファスナーを縫い付ける。
もうたまんない。


ただ、カバン作りはあくまで息抜き。
間に挟む楽しみ。
大好きな卵のフィリング。

パンの部分は、非常に単純なこと。
やるしかない。
それだけ。
やるべきことはこれほど明確。
やれる期間も(ほぼ)明確。
やるしかない。
それだけ。
気力ももつからね。

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2013
09.18

科学はすべてを説明できるのか。

Category: 雑感。
科学はあらゆるものを説明できるか、将来説明しうるか、というと、
おそらく不可能であろう。

科学は全てを説明しうる、と主張する人もいるかもしれない。
昔は「神の所業だ」と言われてきたものでも、今はどんどん解明されてきている。
自然災害についてはそうかもしれない。
地震、雷、台風、月食日食、これらを神の怒りと思う人は現代ではそういない。
しかしこれだって、「なぜプレートがずれるのか」には説明がない。
本当に科学はあらゆるものを解明してきたか。


さらに、人はよく偶然という。
「偶然こうなった」と。
それを運命という人もいる。
「これはきっと運命だ」と。

どれも、科学は説明しない、否、説明するべきものだと思っていない。
しかし、この「偶然」も「運命」も、言ってしまえば「神」と同じ。
科学は、「偶然」も「運命」も認めない。定義しない。
それはすなわち、研究の対象外だとして放棄、無視しているのと同じ。
これでいて、あらゆるものを説明できる、と言ってよいのか。


科学の基本たる「原子」の存在だって、今や既に不明確となっている。
学校で習ったとき、原子とは、「物質の最小限の単位」と教わった。
それ以上でもそれ以下でもない定義。
しかし今、原子の中には「原子核」やら「電子」やらがあることも知られている。
原子は最小ではないではないか。
こんな致命的な矛盾を、わたしたちは何も知らずに受け入れさせられている。

それともこういうつもりか。
原子とは、「原子核と電子からなるもの」と。
そうなればすぐに次の質問が飛ぶ。
「原子核とは何か、電子とは何か。」
以下無限ループにつながることは、言うまでもない。

一体科学は何を説明できるというのか。


理系の大学で学んできた人々は、原子が何か、知っているのかもしれないな。
私はどうも、哲学的視点から物事を見る傾向にあるから。

さらにいえば、あらゆるものを説明しつくしたところで、一体何になるのか。
「だから何」感とか、虚無感とか、そういったものにつながらないか。

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2013
09.14

「理性」なるもの。

コミュニティのほうに一度書いたことですが、忘れないように、ここにも。


「理性」というのは、秩序安寧を維持するために作られた架空のもの、ではないか。
すなわち、「道徳や秩序ってあったほうがいいよね」と思う心。

はじめはきっと、人々が共同で生きていく中で、自然におこった。
慣習や習慣からできた、暗黙の合意や信頼だったのだろう。
つまり、「こういうときは大抵こうするよね」という同意。
そのほうが驚かないし、次の行動も立てやすくなる。

無法地帯よりも、道徳や秩序があったほうが生存可能性は高くなる。
それが生存有利だから他よりも多く生き残って、現在広くいきわたっている。
そのことを後付けで真理とするために、「理性」なることばができたのではないか。


なにか「理性」という崇高なものが人にはある、というのはきっと間違いなのだ。
そういう心を重んじるほうが、生き延びられるからなのだ。

「人間は理性的な生き物だ」とか、なんとかいうよりも、
現実的にそのほうが生きやすいよね、っていうだけなんだ、たぶん。


ただ、道徳や秩序はあったほうがいいだろうけど、
なにを「道徳」といい、なにを「秩序」というか、っていうのは、
大いに考える必要がある。

考える基準はひとつ、「生きやすいか否か」。
ここを忘れなければ、きっと大きく道を外れることはない、と思う。
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2013
09.14

国民はどちらを信じるか。

Category: 時事
福島の民主党の会合で、東電の幹部が「今の状態はコントロールできていない」と発言。
それに対して東電本部は、首相と認識は変わらないと釈明。
理由は、外洋の放射性物質の数値が上昇していないから。
首相の認識というのは、「状況はコントロールされている」から東京は安全だと言ったあれ。


東電本部の釈明は、もう苦しい言い訳にしか聞こえない。
むしろ、幹部の発言のほうが、国民の意識にそっているだろう。

「汚染水が漏れている」だけですでにコントロールできていない。
それだけではない、タンクの周りに土のうを積む、原始的方法で対処している映像は、あまりにお粗末。
汚染水が地下水に到達し、今も漏れ続けている時点で、外洋にも漏れているのだろう。
ただ、今の時点では大海に薄められて濃度が上昇していないだけなのだ。
数値に出るのも時間の問題。今なんとかせねばならない危機的状況。


あまりに危機感が薄い。
いや、もしかしたら東電の職員の大部分は、大きく危機感を持っているのかもしれない。
幹部の発言から、そう思える。
それを握りつぶしているのが、東電本部であり、あの釈明なのだろう。

とすると、「東電本部」というのは、いったい何者なのだろう。
株主はおそらく関係ない、かな。
しかし、首相を擁護するところをみると、いったいどんなコネがあるんだか、と疑わざるをえない。


そんなお偉いさん方のお遊びよりも、オリンピックが東京に決まった時の、福島の人々の話のほうが重要。
『そんなことどうでもいいから、こっちを何とかしてほしい』
『どうせ中央が儲けるだけ、我々には何の関係もない』
震災から2年半たっても、いまだ仮設住宅に住む人々。

首相はこの話には、これから一切触れようとしないだろう。
首相の十八番だったか、「臭いものにはふたをする」というのは。
わたしたちは彼らを忘れてはいけない。


震災そのものからは確かに復興しただろう。
しかし、人災からは復興していない。いや、状況は「コントロールできていない」。

原発事故は、人災だ。
それがなければ、福島の人々はとっくに地元に帰ることができ、新たな一歩を踏み出していたことだろう。
それを奪っているのが、原発。
そして、そのエネルギーを享受してのんびり暮らしてきたのが東京なのだ。

電力不買運動という名の節電を少し厳しくしよう。
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2013
09.13

プライベートブランドって…(笑)

Category: 経済のハナシ
いったい何のためにあるんでしょうね。


消費者にも生産者にも、スーパーへの依存度を高めさせようとしている。

わざわざ生産者の顔を隠して、消費者に情報を与えない。
生産者を表示しないのは、生産者の誇りを奪う行為でもある。

小規模小売店はマネできない。
小規模生産者は抵抗できない。


これほどうさんくさいものはない。
残るのは、市場シェア一位の大企業生産者と、大規模小売店のみ。
消費者にとって、いいことにはならない。
誠実な生産者にとっても、いいことにはならない。


だから、プライベートブランドの商品は、極力買わない。
あれほど生産者の顔が見えないものはない。

だから、プライベートブランドを売りにしている店は、信用できない。
そこまで生産者を隠したいのか、と疑ってしまう。


プライベートブランドって…(笑)

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2013
09.12

憲法違反へ突き進む首相。

Category: 平和と戦争。
首相が防衛省での訓示で、集団的自衛権容認を必ず実行していくと。

こんなこと、させてはならない。
集団的自衛権は日本の平和憲法の下では認められていない。


彼の発言は、前提もなにもかも間違っている。

彼は「現場の自衛隊員にしわ寄せを押し付けることはあってはならない」と発言しているが、
集団的自衛権の行使を容認し、自衛隊が武力行使をすることで、「しわ寄せ」が回避できるとでも思っているのだろうか。
今現在、現場の自衛隊員に何らかのしわ寄せがいっているというのか。
そもそも、「現場の自衛隊員」という発言がすでに、自衛隊が紛争地に赴いていることが前提になっていないか。


憲法9条は、そもそも自衛隊が海外の紛争地に行って武力行使をすることを禁止している。
非軍事力でもって国際的な平和構築に貢献していく、というのが日本国憲法の本分である。
それをまったくもって忘れているのが今の首相だ。

自衛隊の存在すら、憲法違反でないか議論になっている。
その中で、「自衛隊は『自衛のための最小限度の実力』であるから合憲」とされてきたのだ。
他国から攻められたときに追い返せるようにだけ存在するのだから、という名目なのだ。

自衛隊は、海外の紛争地に行ってはならない。
本当は、「後方支援」だって違憲なのだ。


この政府の違憲行為を止められるのはだれか。
裁判所、ではない。
彼らは、具体的な裁判にならないと判断できない。

止めるのは、我々主権者だ。
我々一般市民だ。
他にはいない。
集団的自衛権の行使容認は違憲だと、そこらじゅうで言いたてるのだ。


解釈改憲自体がそもそも政府の越権行為。
だからといって、改憲をして9条を変えるのはとんでもない。
彼らは徐々に進めていくつもりだろうから、
これくらいなら大丈夫か、と放っておいてはいけない。
少しずつ、少しずつ既成事実化していくのは彼らの常套手段。

裁判所にはできない。
止めるのは、我々以外にはいない。
いたるところで言いたてるのだ。
集団的自衛権の行使容認は、まぎれもなく違憲だ。
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